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東京高等裁判所 昭和55年(行コ)1号 判決

控訴人

株式会社ホンリユー・コーポレーション

右代表者

居村方治

右訴訟代理人

伊藤信男

本間忠彦

村田武

被控訴人

横浜税関長

秋山雅保

右指定代理人

篠原一幸

吉戒修一

外六名

主文

本件控訴を棄却する。

差戻前及び差戻後の控訴審並びに上告審の訴訟費用は、全部控訴人の負担とする。

事実

第一  申立

控訴人は、「原判決を取消す。控訴人の輸入申告にかかる書籍「サン・ワームド・ヌード」三九二冊につき、被控訴人が昭和四四年五月三一日関税定率法二一条三項によつてなした通知を取消す。控訴人が右通知に対し同法二一条四項によつてなした異議申出につき、被控訴人が昭和四四年八月二五日同条項に基づきなした異議申出棄却の決定を取消す。訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

第二  控訴人の請求原因

一  被控訴人は、昭和四四年五月三一日控訴人に対し、控訴人の輸入申告にかかる書籍サン・ワームド・ヌード(SUN WARMED NUDES)三九二冊(以下「本件書籍」という。)につき関税定率法(昭和五五年法律第七号による改正前のもの。以下同じ。)二一条一項三号に規定する輸入禁制品に該当するとの同条三項による通知(以下単に「本件通知」という。)をなしたので、控訴人は、これに対して同条四項による異議の申出をしたところ、被控訴人は、同年八月二五日右異議の申出を棄却する旨の決定(以下単に「本件決定」という。)をなし、本件決定の通知書は、同月二九日控訴人に送達された。

二  しかしながら、本件通知及び本件決定は、いずれも次のとおり不当なものであり、いずれも取消されるべきである。

1  関税定率法二一条は、行政機関である税関長に公安又は風俗を害すべき書籍、図画の輸入を禁止する権限を与えているが、憲法二一条は、基本的人権として表現の自由を保障し、ことにその二項は、検閲を絶対に禁止している。検閲とは、公表されようとする言論その他による表現の自由に対して、行政権がこれを事前に審査し、その容認するもののみの公表を許すことである。関税定率法二一条一項及び同条三ないし五項は、税関長に公安又は風俗を害すべき書籍、図画であるかどうかを審査する権限を与え、税関長がこれに該当すると認めた書籍、図画は輸入不許可にすることを定めているので、まさに憲法の禁止している検閲に当たり、憲法二一条に違反するものである。

2  本件決定は、本件書籍が女性の陰毛の判然としている写真を登載していることを理由に、わが国の風俗を害すべきものとして原告の異議申出を棄却しているが、本件書籍に収録されている写真は、アメリカの有名な写真家アンドレ・ド・ディーンズが女性の裸体美をあらゆる姿態からとらえた芸術的写真であり、その多くが陰毛陰部が撮影されているものではあるが、その撮影されている女性の姿態には性器をみだらに露出したようないやらしい扇情的な点はなく、自然のままの姿態における裸体の写真であるので、現代の性意識からみて、猥褻性を認めるのは相当でない。いうまでもなく、猥褻性の有無の評価は、評価主体の主観に依存するものであり、その限りでは主観的相対的であることは免れないが、もはや性を秘事とする時代は過ぎ去り、性を特別扱いにしないで幸福な家庭生活、健全な市民をつくりあげるための性教育の必要がさけばれている現時点において、女性の陰毛が判然としているだけの理由で、いいかえれば自然のままの女性を撮影しただけの理由で本件書籍がわが国の風俗を害するものと判断することは時代錯誤というほかなく、到底首肯することができないのである。

三  よつて、控訴人は、被控訴人に対し、本件通知及び本件決定の各取消を求める。

第三  被控訴人の本案前の抗弁

関税定率法二一条一項に該当する旨の同条三項に定める税関長の通知及び同条五項に定める税関長の決定は、抗告訴訟の対象となる処分ではない。

貨物を輸入しようとする者は、必要な事項を税関長に申告し、貨物につき必要な検査を経て、その許可を受けなければならない(関税法六七条)。その検査に当たり、申告にかかる貨物が関税定率法二一条一項三号に掲げる貨物に該当すると認めるのに相当の理由がある場合には、税関長は当該貨物を輸入しようとする者に対してその旨の通知をすることになつている(同条三項)が、この通知は、これにより当該貨物を輸入しようとする者に対して、その貨物が輸入を禁止されているものに該当することを認識させる目的のものであつて、これにより当該貨物の輸入不許可の効果を生ずるものではない。要するに、右通知は、税関長の当該貨物が同条一項三号所定の輸入禁制品に該当すると認めるにつき相当の理由があるとの判断を通知するもの、すなわち、単なる観念の通知に過ぎないものであり、したがつて、これにより当該貨物を輸入しようとする者の権利、義務に何らの影響を及ぼすものではない。

税関長の通知の性質が前述のとおりである以上、右通知についての異議申出に対する決定も、右通知を確認するか、あるいは再度の考案の結果、見解を改めるに過ぎないものであつて、同じく異議申出人の権利義務に影響を及ぼすものではない。

更に関税定率法二一条一項三号該当物件は、法律上輸入が絶対的に禁止されているため、税関長の許可、不許可の対象とはならないので、税関長は許可又は不許可の処分をする権限を有するものではなく、輸入しようとする者に対して当該貨物が輸入を禁止されているものに該当することを認識させるための通知をすることとされているに過ぎないのである。

以上の理由により、右税関長の通知及び決定は、抗告訴訟の対象となる処分ではないから、本件訴は不適法として却下されるべきである。

第四  請求原因に対する被控訴人の認否請求原因一項の事実は認める。

同二項のうち、1は争う、2の事実中被控訴人か控訴人主張のような理由でその異議申出を棄却したこと及び本件書籍に収録されている写真の撮影者がアンドレ・ド・ディーンズである旨表示されていることは認めるが、その余は争う。

同三項は争う。

第五  被控訴人の主張

本件通知及び本件決定は、いずれも適法かつ正当なものであつて、控訴人主張のような取消事由は存しない。その理由は、以下に述べるとおりである。

一  税関長が関税定率法二一条一項及び同条三ないし五項に基づいてなす行為、すなわちいわゆる税関規制は、憲法二一条二項前段の禁止する「検閲」には該当しない。以下にその理由を詳述する。

1  検閲の概念

いわゆる税関規制が憲法の禁止する検閲に該当するか否かを判断するに当つては、まず検閲の概念を確定する必要があるが、検閲の概念については、憲法もこれを規定しておらず、必ずしも自明のこととはいえない。

しかし、一般に学説、判例において説かれている検閲の概念は、思想内容の表現に対する公権力による事前規制であるということができる。換言すれば、検閲に該当するというためには、次の二つの要件が必要であると考えられる。すなわち、その一つは、公権力により、表現されるべき思想の内容について実質的審査がなされることであり、他は、その審査に基づいて、公権力により思想の表現に対し事前に発表禁止等の規制がなされるということである。

2  税関規制の構造とその非検閲性

(一) 通関手続は、関税の公平確実な賦課徴収及び税関事務の適正円滑な処理を図るため、貨物の輸出入の際に必要な規制等を行う手続である(関税法〔昭和五五年法律第七号による改正前のもの。以下同じ。〕一条)。この手続は、必要な規制等の権限が最終的に税関という一つの行政機関に集約されているという意味において一元的であり、あらゆる種類の輸入貨物がその対象となるという意味において包括的である。

したがつて、わが国に輸入される貨物は、当然、それが船舶あるいは航空機による輸入貨物であれ、入国旅客の携帯品であれ、郵便物(ただし、信書以外の物)であれ、すべて通関手続を経なければならず、その過程で必要な検査、すなわち税関検査を受ける(関税法六七条、七六条)。書籍、図画、彫刻物等思想の表現を含む物であつても、それが貨物である以上、他の貨物と同様にその検査の対象となる。

この税関検査は、輸入貨物の性質、数量等を物理的、化学的に検査、鑑定して、当該貨物が申告された品名、課税標準等と同一の物であるか否か、関税に関する法律以外の法律によつて許可、承認等を必要とする貨物であるか否か、原産地を偽つた表示がなされていないかどうかを確認するためのものである。又、その検査の過程において関税定率法二一条一項所定の輸入禁制品に当たる物品があれば発見され得ることになる。これらの検査は、検査される事柄の性質、前述上た通関手続の一元的、包括的性格等を考えると、当該貨物自体に対する即物的観点からのものにならざるを得ないことが明らかである。すなわち、当該貨物の物自体の性状等に着目してなされたものである。したがつて、右検査においては、物自体からはとらえられないような事項、例えば、それに含まれているかもしれない思想の内容などは問題とはならない。

(二) 輸入禁制品は、関税定率法二一条一項の規定によつて法律上当然に輸入を禁止されており、それが輸入申告の対象とされてその申告に対して税関長が許否を決し応答的行政処分をするというようなことは法は予定していない。税関検査の過程で輸入禁制品を発見したときは、税関長は、直接的に、関税定率法二一条一項一、二、四号に掲げる輸入禁制品については、没収して廃棄し又は積みもどしを命じ(同条二項)、また三号物品についてはその旨の該当通知をすることとされており(同条三項)、それ以上に輸入許可手続は進行しない。この該当通知は、輸入申告に係る貨物が三号物品に該当すると認めるとの税関長の判断の結果を表明しそれを輸入者に知らせ、当該貨物についての自主的な善処を期待してなされる、いわゆる観念の通知であるとされている。

輸入禁制品たる三号物品に該当すると認めた貨物について税関長が輸入許可を与えるということは職責上できないから、その許可が与えられないがゆえに三号物品の輸入は通常阻止される。他方、関税法は、輸入禁制品を輸入した行為について罰則を定めており(同法一〇九条)、その罰則の存在によつても三号物品の輸入が抑止されることが期待されている。すなわち、税関検査の過程で税関長が三号物品に該当すると認める物品を発見したときは、該当通知によつて輸入者自身の善処を期待する一方、その輸入の事実を看過し難いと判断するときは、関税法一〇九条の罪の犯則事件として調査を開始した上、同法一三七条ないし一三九条の通告、告発等所定の犯則手続、刑事手続を進めることになる。そして、最終的な段階では、同法一一八条による没収によつて三号物品の輸入が阻止されることになる。

このように、関税法は、通関手続と刑事手続を連動させることにより、三号物品の輸入を適切に抑止することを期しているということができる。

ところで、関税法が輸入禁制品の輸入の抑止を通関手続と刑事手続の両面から図つているのは、必然的な制度的要請に基づくものといえる。すなわち、実体規定(関税定率法二一条一項)においてある物品を輸入禁制品と定めた以上、その輸入の抑止を担保するための何らかの法律上の手段が設けられなければならないはずであるが、罰則を設けず、通関手続における規制のみによつてその目的を達しようとすれば、輸入を抑止する担保力自体が必ずしも十分なものでないと考えられるし、また通関手続を経ない非合法的輸入についてはそれを抑止することが全く期待できないこととなる。反対に、罰則のみによつて輸入の抑止を図り、通関手続においては輸入禁制品に対する何らの規制をも行わないとするなら、明らかに、前述した通関手続の一元的、包括的性格を崩すことになるのみならず、すべての三号物品の輸入の事例について刑事手続に訴えることは件数的な面から実際上不可能であるので、規制の実効性に限界があるといわなければならないし、また、通関手続において輸入許可を与えられた物品の輸入に対して事後的に罰則が適用されるという不合理な事態が生じかねないのである。要するに、輸入禁制品を定めた実体規定を実効あらしめるには、必然的に右のような意味における事前規制、事後規制の両面からその輸入の抑止を担保することが必要となるのである。

刑事手続のほかに通関手続において輸入禁制品に対する何らかの規制を行うことに制度的必然性があることは右に述べたとおりであるが、税関検査の結果輸入禁制品の輸入が抑止されるという効果があることは否定できない。ただし、このようにいうとき留意すべきことは、税関検査は、前述したように、あくまでも当該貨物の物自体の性状等に着目したものであり、検査の主体の側からいえば、当該貨物の物自体に対する視覚等のいわゆる五感の作用によつて可能な検査に限られているということである。

このことは、思想の表現を含む物品に係る検査についても何ら異なるところはない。

以上のように、思想の表現を含む物品に係る税関検査は、当該貨物の物自体の性状等に着目してされるものであつて、それに含まれているかもしれないところの思想の内容には全くかかわらないものである。検閲とは当該公権力の行使が思想の内容を審査するものであることを要するが、税関規制は、既にこの点において検閲性を有していないことが明らかである。

(三) 税関規制は外国貨物の輸入行為自体を規制するものである。そして輸入行為が、それ自体としては、思想を表現し、伝達する行為でないことはいうまでもない。したがつて、外国貨物を輸入することの自由は直ちに憲法二一条の表現の自由の枠内にあるということはできない。この点をとつてみても、表現の自由の保障の一手法である検閲禁止の規定がそもそも税関規制に適用される余地があるか否かは、十分検討に値する問題であることが明らかである。

通関手続において輸入者の自由が憲法上問題となる場面があるとすれば、それは、輸入貨物に対する税関検査の過程において当該貨物が三号物品に該当すると認められて輸入許可が与えられなかつたため、その結果として、その貨物に含まれていた思想が輸入者等に伝達されなかつたという場合が考えられる。そして、この場合に問題とされるのは、言論、出版等の能動的な形態の本来の表現の自由ではなく、わが国にいる輸入者等が外国から思想を受容するについての自由、すなわち、論者によつて説かれるところのいわゆる「知る自由」の問題である。

憲法二一条一項の文言、基本的人権の一つである表現の自由が確立されてきた歴史的経緯等を勘案すると、いわゆる「知る自由」が果たして表現の自由に含まれるのか、仮に一般的にはそのようにいえるとしても、あらゆる態様の「知る自由」が言論、出版等の能動的形態の本来の表現の自由と全く同様に等しく憲法二一条の保障の対象となるのかについては疑問があり、この点については、思想の伝達の個別具体的な態様を前提とした上で具体的に考察してみることが必要である。そこで、例えば、電波管理上の理由から外国の短波放送を聴くことが制約された場合を想定し、それを憲法上の問題として検討するとすれば、それは、自由な行動の制約という観点から、むしろ、例えば憲法一三条に関する一般的な自由権を制約することになるのかどうかという問題としてとらえるべきものである。これをあえて憲法二一条の表現の自由の問題としてとらえなければならないとする必然性、必要性はない。税関規制と外国貨物に含まれている思想の伝達の制約との関係は、右の外国の短波放送の例に似ているが、重ねて留意すべきことは、税関規制は思想の伝達自体を規制するものではないということである。それは、当該貨物の物自体の性状等の側面から規制するものであるから、仮にそのためにその貨物に含まれている思想の伝達に関し何らかの制約が生ずるような結果になつたとしても、それはあくまでもその規制によるやむを得ない付随的な結果に過ぎないのである。

以上のような点からも、税関規制を表現の自由にかかわる問題、そしてその一環である検閲禁止にかかわる問題としてとらえるのは正当でないというべきである。

(四) 該当通知は、当該貨物が三号物品に該当すると認める旨の税関長の判断の結果を輸入者に知らせ、当該貨物についての自主的な善処を期待してなされるものであるが、当該貨物を適法に輸入することができなくなるという法律上の効果を及ぼすものであるとされている。しかし、ここにいう法律上の効果とは、直接輸入を禁止する効果そのものではない。輸入禁止の効果は輸入禁制品の輸入を禁止した実体法規によつて当然生じているのである。このことは、該当通知の有無は法一〇九条の輸入禁制品輸入罪の成否に何ら関係ないことからも理解できる。

このように、該当通知は、直接輸入を禁止する効果を有するものではなく、まして、外国貨物に含まれている思想の発表を禁止するものではない。検閲といい得るためには、公権力が思想の表現に対して発表禁止あるいはそれに類する規制をする場合であることを要するが、税関規制における該当通知は右のように思想内容の発表禁止の効果を有しているものではないことを考えると、税関規制には、この点からしても、検閲性がないといわなければならない。

3  検閲禁止と公共の福祉による制約

(一) 憲法二一条の保障する表現の自由は絶対無制限のものと解すべきではなく、憲法一二条、一三条により公共の福祉の制限の下に立つものと解すべきことは、既に確立した判例の立場(最高裁判所昭和三二年三月一三日大法廷判決刑集一一巻三号九九七頁、同裁判所昭和四四年一〇月一五日大法廷判決刑集二三巻一〇号一二三九頁)であり、しかも、右各最高裁判例は、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することは、公共の福祉の内容をなすことを明言しているのである。

ところで、関税定率法二一条一項三号所定の「風俗を害する物品」には、猥褻物品が含まれるが、実体規定によつて猥褻物品の輸入を禁止すること自体は、前記各最高裁判例の趣旨に照らせば、何ら憲法に抵触するものではないといえる。すなわち、同法二一条一項三号の規定自体が合憲であることについては問題がない。したがつて、本件において問題とされるべきことは、右の実体規定を前提として、同条三項ないし五項及び関税法六七条又は七六条により、輸入貨物について検査をし、その過程で当該貨物が三号物品に該当すると認められた場合に税関長が輸入者にその旨の該当通知等を行うことが憲法の許容するところであるか否かということである。

(二) 検閲の禁止については、憲法の文言上は何らの留保を付されていない。しかしながら、このことから直ちに、検閲禁止は絶対的であつて例外が認められない、すなわち、形式的、概念的に検閲に当たるいかなる公権力も絶対に許されないものと解すべきではない。

すなわち、検閲の概念は、思想内容の表現に対する公権力による事前規制としてとらえられるのであるから、文書等の出版に対するもののみならず、広く一般的に、思想内容の表現活動に対する事前規制であるならば、それは概念的には検閲に当たると解することができるのである。したがつて、集団示威行進等を事前規制することもまた、概念的には一種の検閲であるといい得ることになるが、最高裁判所は、いわゆる公安条例による右の事前規制を公共の福祉の下に許容されるとしているのである(最高裁判所昭和二九年一一月二四日大法廷判決刑集八巻一一号一八六六頁、同裁判所昭和三五年七月二〇日大法廷判決刑集一四巻九号一二四三頁)。

そしてまた、概念的には検閲に当たるといえる公権力による規制が憲法上許容されるとされたのは、右のような集団示威行進の事前規制に係る事例についてのみではなく、従来の裁判例において、より本件と類似した事例について同様の判断がなされているところでもある。すなわち、監獄法三一条、同法施行規則八六条は、在監者につき文書、図画の閲読を許可に係らしめて制限しているところ、これはいわゆる「知る自由」の制約に当たるものと解されるが、この制約については、拘禁目的の達成・施設の正常な管理運営のためにやむを得ないと解されているのである。これらの事例から、いわゆる「知る自由」との関係でも亦、検閲禁止ということが必ずしも絶対的なものでないことが理解できるのである。

(三) そこで、右に述べたような意味において検閲禁止が憲法上絶対的なものではないことを前提として、次に、現行の税関規制は、その社会的必要性、制度的必然性、合理性等に照らし、憲法にいう公共の福祉の要請に合致するものであることを明らかにする。

(1) 三号物品の輸入の抑止を担保するための法律上の手段としては、通関手続における規制と罰則による事後規制との二つが考えられることは前述のとおりであるが、後者のみによる規制では実効性が乏しく、もし現行の税関規制の一環としての税関検査の制度を欠くならば、①外国貨物の輸入の時期及び場所の予測が捜査機関にとつてほとんど不可能である以上、三号物品たる書籍等の輸入は極めて容易となること、②違法な輸入が行われた後、その違法輸入が捜査機関により確知されたとしても、それは実害が既に生じた場合が多く、しかも、当該輸入者を究明することも極めて困難であること、及び③外国にある書籍等については、差押又は没収等に関するわが刑事手続は及ばないこと等の点から、三号物品を輸入禁制品と定めた関税定率法二一条一項三号の規定は有名無実のものとなるといわざるを得ない。更に、現在現実に輸入されようとしている三号物品の多くがいわゆる外国のポルノ雑誌等であることを考えると、もし現行の税関規制を行い得ないとするならば、猥褻文書等の頒布等を禁止した刑法一七五条の規定の存在意義が大きく揺らぐことになりかねない。

すなわち、関税法一〇九条と刑法一七五条とは、性的秩序の保持、最小限度の性道徳の維持等の観点において、一部主要な保護法益を共通しているために、一方の規制の粗密は、実際上、他方の規制のあり方・程度に大きく影響することは免れない。例えば、仮にポルノ雑誌等の輸入に対する税関の規制が十分行われないことになれば、それらの物品が輸入された後わが国内の社会に急速に拡散して何人の目にも触れるような状態が現出することは容易に想像できるが、そうなれば、一般に猥褻文書等の頒布等の行為について刑法一七五条により処罰されるのは、実際上、よほど悪質な態様のものか、一罰百戒的な意味においてなされる場合に限定されることになつてしまうであろう。又、実質的に刑法一七五条を潜脱するような行為がひん発する事態が生じかねないと思われる。例えば、わが国民が猥褻書籍の版元を外国に置き、国内からの注文に応じて当該物品を注文者の手元にいわゆるダイレクトメールの形で送るといつた行為は刑法一七五条にいう猥褻文書の頒布販売に該当するといえる(このような行為は刑法一条の国内犯に当たると解される。)が、このような態様の行為について刑法一七五条による処罰を行い得る事例は、証拠の収集保全等の観点から極めて限定されたものとなるであろう。

(2) また、三号物品の輸入に対する規制を関税法一〇九条の事後規制によつてのみ行うという方法は、次に述べるように、制度的にも極めて無理があり、かつ、現行の税関規制に比して輸入者に与える不利益も大きく、到底合理的なものとはいえない。

このような方法の下では、税関長は、税関検査の過程において三号物品を発見したとしても、当該貨物について所定の関税の納付等通関に必要な法所定の要件が備わつているならば、輸入許可を与えなければならないこととなるが、輸入許可が与えられても当該貨物が輸入禁制品であることには変わりがないから、輸入者が輸入許可に従い当該貨物を国内へ持ち込んだ時点において、税関職員は犯則手続を開始し(同法一一九条以下)、場合によつては必要に応じて当該貨物を犯則の現場において差し押える(同法一二三条)こととなる。理屈の上では、この場合の輸入許可は、当該貨物が三号物品に該当するかどうかの判断を前提としないでなされたものと解し得るとしても、同一物について先に輸入許可を与えながら、後に輸入禁制品を輸入したことを理由に犯則手続を開始するというのは、輸入者にとつては外国貨物の輸入に関する法的安定性を害され、税関にとつては同一物の輸入に係る規制につき二重の手数をかけなければならないという意味等において、法制度としていかにも不合理なものといわなければならない。

しかも、現行制度では、税関長の該当通知を不服として行政争訟を提起する道(その過程で第三者機関たる関税等不服審査会〔本件当時は輸入映画等審議会〕の意見が聴かれる。)が開かれているのであつて、輸入者に対する司法的救済に欠けるところはないのである。

してみると、関税定率法二一条一項三号の規定を前提とする限り、右のような方法に比して現行制度のほうがはるかに合理的であることは明らかである。

(3) 更に、この現行の税関規制の合理性について、検閲の典型的な場合と対比してふえんすると、検閲の典型的な場合は、例えば出版物の場合を例にとると、出版あるいは頒布販売の前に検閲当局に対して当該出版物を提示の上審査を受けるか、あるいは当局による立入り検査を受けるというものであるが、このような手続は出版物の出版、流通のいわば自然な流れを妨げるものと見ることができ、場合によつては思想表現活動がその形を成す前に闇から闇へ葬り去られかねない危険をはらむものといつてよいが、税関規制の場合には元来思想の表現を含む物品であると否とにかかわりなく、すべての輸入貨物は所定の関税の納付等通関に必要な要件の具備の確認のために税関の検査を経なければならないのであつて、この検査の過程において三号物品に当たると認められる貨物を発見した場合にこれを輸入禁制品として取り扱うとしても、それは、輸入貨物の本来あるべき流れを妨げないという意味において、制度的に自然であると考えられるし、また、その検査の対象は通常既に表現物として外国において不特定多数人の目に届いているものであつて、この点においても、典型的な検閲の場合の対象とは、その置かれている状況が異なつているのである。

以上のような諸点を考えるならば、仮に現行の税関規制か概念的には検閲に当たるとしても、右制度は、公共の福祉の要請により憲法上許容されるものといわなければならない。

4  いわゆる明白かつ現在の危険の原則の適用について

一部の見解は、輸入される猥褻書籍等が明らかに一般人に頒布、販売、公然陳列されようとしているなど、事前にこれを規制しなければ、性的秩序の保持、最小限度の性道徳の維持という社会的利益に対し明白かつ差し迫つた危険が存在すると認められる場合に限つて通関手続において事前にこれを規制することが許されるのであり、その余の場合は関税法一〇九条のような刑事罰規定による事後規制によつて三号物品の輸入に対処すべきものとする。

しかしながら、右のような事後規制によつて対処し得るとする議論が現実的でないことは前述したとおりであり、また、税関規制につきいわゆる明白かつ現在の危険の原則を適用することは、税関規制の法律的な構造及び具体的な輸入貨物の検査のあり方等に対する理解を欠いた観念的な議論であつて、到底採用することができない。

二  本件書籍は、関税定率法二一条一項三号にいう風俗を害すベき書籍に該当する。

本件書籍に収録された写真の多くは、女性の陰部又は女性の陰毛を露骨に撮影したものであつて、風俗を害すべき猥褻の写真であることが明らかである。女性の陰部又は陰毛を撮影した写真が判例による猥褻の概念に当たることは明らかであり、又仮に、本件書籍に収録された写真に芸術性が認められるとしても、芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であるから、本件書籍の猥褻性が否定されるものではなく、したがつて、風俗を害すべき書籍と認定されるべきことは当然である。

第六  被控訴人の主張に対する控訴人の反論

一  本案前の抗弁について

本件通知及び本件決定が抗告訴訟の対象となる行政処分ではないとの被控訴人の主張は、これを争う。

二  いわゆる税関規制が憲法の禁止する検閲に該当しないとの主張について

1  税関検査の検閲性

被控訴人は、税関検査は輸入貨物自体に対する物理的化学的検査鑑定に終始する即物的なもので、それに含まれているかも知れない思想の内容などは問題にならない旨主張するが、もし税関検査が被控訴人主張のような価値盲目的作業であるならば、本件のように輸入申告貨物か三号物品であるかどうかが問題となつた場合には、税関長は完全にお手揚げになつてしまい、その職責を果すことができなくなるであろう。

本件上告審判決の示した拘束的判断によると、輸入申告者は、税関長の関税定率法による通知等の法律上の効果によつて輸入申告貨物を適法に輸入する道を閉ざされてしまい、そしてこの輸入申告者の不利益な制約と税関長の同法による通知等との間には因果性ないし関連性があるというのであるから、右税関長の通知等の法的装置は、その実態において法制化された検閲機構であるといつても過言ではない。

2  検閲の禁止と公共の福祉との関係

被控訴人は、憲法二一条の保障する表現の自由は同一二条、一三条により公共の福祉の制限の下に立つものと解すべきであり、その援用にかかる最高裁判所大法廷判決の趣旨に照らせば、猥褻物品の輸入を禁止することは何ら憲法に抵触するものではない旨主張する。しかし、被控訴人の援用する右判例は、表現の自由を濫用した反社会的行為を刑罰法規によつて事後において処罰した事案について憲法違反でないとしたものであるから、このことによつて関税定率法二一条一項三号による事前の抑制を正当化することはできない。

又被控訴人は、公安条例に関する最高裁判所大法廷判決を援用して、思想等の表現に対する事前の抑制である公安条例が合憲とされた以上検閲禁止の絶対性は論理的に成立しえない旨主張するが、被控訴人の援用する公安条例に関する指導的判決である最高裁判所昭和三五年七月二〇日大法廷判決は、集団行動による思想等の表現は単なる言論出版等による表現と異なつて現在する多数人の集合体自体の力すなわち潜在する一種の物理力とみているのであるから、公安条例の合憲性をもつて表現の自由に対する検閲禁止の相対化を意味するものということはできない。

そもそも基本的人権制約の基準である公共の福祉は、憲法二一条二項の検閲の禁止を無視することは許されないのであつて、同条に違反するような公共の福祉はありえない。したがつて、公共の福祉は憲法二一条二項と対立するものとしてではなく、これに奉仕すべきものとして置かれているというべきである。

第七  証拠〈省略〉

理由

第一本案前の抗弁について

被控訴人は、本件通知及び本件決定は、抗告訴訟の対象となる行政処分ではないから、その取消を求める本件訴は、不適法として却下されるべきである旨主張する。

関税定率法二一条及び関税法第六章の規定の趣旨に鑑みると、被控訴人のなした本件通知は、控訴人の輸入申告にかかる本件書籍が輸入禁制品である「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」に該当すると認めるのに相当の理由があるとする旨の税関長としての判断の結果の表明であり、また本件決定は、輸入申告者である控訴人からの異議申出に対して、税関長としては従前の判断を改めることなく、そのままこれを維持する旨の判断の結果の表明であり、本件通知も本件決定もともにその法律的性質は、行政庁のいわゆる観念の通知とみるべきものであつて、輸入不許可処分そのものではない。

しかしながら、税関長において当該貨物が輸入禁制品に該当すると認めるのに相当の理由があるとしながら、その輸入を許可することのありえないことは、前記関税定率法二一条、関税法六七条、七〇条、七一条、七三条等の規定に徴し明らかであるから、本件通知及び本件決定がなされた以上、本件書籍につき輸入許可の得られるべくもないことが明らかになつたものということができる。また税関長において関税定率法二一条一項三号に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物について、税関長が同法三項及び五項に定める措置をとる以外に当該輸入申告に対し何らかの行政処分をすることは、およそ考えられないところであり、他方、輸入申告者は輸入の許可を受けないで貨物を輸入することを法律上禁止されているのであるから、輸入申告者である控訴人としては、本件通知及び本件決定がなされたことによつて本件書籍を適法に輸入する道を閉ざされるに至つたものといわなければならない。そして、控訴人の被るこのような制約は、本件通知又は本件決定によつて生ずるに至つた法律上の効果であると見るのが相当である。してみれば、本件通知及び本件決定は、観念の通知であるとはいえ、行政事件訴訟法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当し、抗告訴訟の対象となるものといわなければならない。

よつて、被控訴人の本案前の抗弁は採用することができない。

第二本案について

一控訴人の請求原因の一項は、当事者間に争いがないから、進んで同二項の1について考える。

判旨1 憲法二一条二項前段は「検閲は、これをしてはならない。」と規定する。ここに検閲とは、公権力が、外に発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止することである、といわれている。一方、税関長が、関税定率法二一条三項の該当通知をし、又は、更に、同条五項により異議申出棄却の決定をし、その旨を通知したときは、輸入申告者は、当該貨物を適法に輸入することができないという制約を破るに至り、当該貨物(書籍、図画等)をわが国内において発表することができなくなるのである。そこで、事柄を一般論的に見れば、税関長の行う右の諸手続、すなわち輸入禁制品の検査は、憲法にいう検閲に当たる、と解されることにもなるであろう。しかし、右輸入禁制品の検査をもつて、憲法が禁止する検閲に該当するものとし、これを違憲と解さなければならないかどうかは、今少しく輸入禁制品の検査の意義、目的、内容等に立ち入つて検討した上で決すべきものと考える。

なお、検閲の意味に関連して、検閲の禁止と表現の自由との関係について一言する。わが憲法において、表現の自由は、最も重要な基本的人権に属するものであるが、それが何らの制約を伴わない絶対無制限のものと解すべきではない。例えば、犯罪行為の扇動、脅迫、猥褻、名誉毀損等非社会道義的なものないし表現の自由の濫用にわたるものは、表現の自由を認めた憲法の保障の外にあるというべきである。しかし、そのことから直ちに、右例示のごときものが、憲法にいう検閲の禁止のらち外にあるとすることはできない。けだし、検閲の禁止は、検閲が表現の自由を害する危険がとくに大きいという歴史的経験から、これを禁止する必要があるとされて生まれたものであるが、もし、例えばある書籍が猥褻に当たるかどうかを事前に審査し、猥褻に当たると認めたときは、その発表を規制することができると解するとすれば、やはり、検閲を禁止した趣旨が失われ、表現の自由が害されるおそれがあるからである。

2 関税定率法二一条一項は、同項一号ないし四号に定める貨物は、輸入してはならない、と定める。輸入禁制品を定めた規定である。この規定は、一つの行政目的に出たものであり、その行政目的を実現するためには、更に、その実現のための手続を必要とするものであるから、右規定が、その意味で、検閲の問題にかかわりを持つことは否定することができないが、右手続に関する規定と対比すれば、一つの実体規定と見ることができる。そこで、かかる規定を設けて禁制品の輸入抑止を図ることに、十分な合理的根拠が認められるか否かを、主として三号の貨物について表現の自由の保障の原理との関連において考える。

判旨関税定率法二一条一項三号は、輸入を禁止するものとして「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」を掲げている。およそ国は、わが憲法の規定するところに従い、基本的人権を尊重しなければならないと同時に、一方、公共の秩序を維持し、社会の健全性を防衛する任務を有するものである。世界の国々において、性に関する表現あるいは猥褻性の観念等に種々相違が見られることは、公知の事柄であり、それらの表現物がわが国に無制限に流入するときは、わが国の健全な風俗を害することがあることも亦、否定することができない。したがつて、国が、一定の要件のもとに、その輸入を禁止しているのは、当然であり、公共の福祉にかなうものである。表現の自由といつても、絶対無制限なものではなく、猥褻なもの、名誉毀損にわたるものなどについて、制約を免れないことは、前述したとおりである。

判旨3 右のとおり関税定率法二一条一項が輸入禁制品を定めてその輸入を禁止した以上、右輸入禁止がその実効を挙げ得るための方策を考案し実施するのは、至極当然のことである。そして、この場合、輸入禁制品を発見するため、輸入貨物を検査する機会を必要とすることも亦ほとんど必然のことであり、しかも、該当貨物は、輸入を禁止されるのであるから、右検査の機会は、輸入の前に設けなければならないこととなる。換言すれば、輸入されようとしている特定の貨物が、輸入禁制品に該当するか否かを、通関手続の過程において検査し、右禁制品が国内市場における流通過程に置かれる以前に、これを発見し、その流入を阻止することが、輸入禁止の目的を達成するために、最も有効適切な手段であると考えられる。

これを実定法について見るに、関税法第六章の諸規定及び関税定率法二一条によれば、およそわが国に輸入される貨物は、その輸送手段のいかんを問わず、すべて通関手続を経なければならず、その過程で必要な検査を受けることとされている(関税法六七条、七六条)のであつて、書籍、図画等思想の表現を含むと考えられる貨物であつても、その例外ではあり得ない。右検査は、元来、輸入貨物の性質、数量等を調査して、当該貨物が、申告された品名、課税標準等と同一の物であるか否か、関税に関する法律以外の法律によつて、許可、承認等を必要とする貨物であるか否か、原産地を偽つた表示がなされていないか否かなどを確認するためのものであるが、右検査の過程において、輸入されようとする貨物の中に輸入禁制品があれば、当然発見され得るのである(輸入禁制品の検査は、観念上は、通関のための検査と区別されるが、事実的には、後者に何らか特段のものを加えるわけではないのである。)。そして、発見された輸入禁制品については、税関長において、禁制品の種類に応じて、関税定率法二一条二項又は三項の措置(本件当時にあつては、更に場合により同条五項の措置)がとられることになつており、同条一項三号所定の輸入禁制品についてこれを見ると、税関長によつて同条三項所定の通知が一度なされると、該通知が、同条五項の決定手続において是正されない限り、輸入許可の手続は、それ以上進行せず、又かような貨物について、税関長が輸入許可を与えることは、職責上許されないことであるから、右貨物については、右輸入許可が与えられないがゆえに、その輸入は、阻止されるのである。

4 右2及び3に述べたところに立脚して考えるに、輸入禁制品を検査してその輸入を規制することの必要性が大きいことは、否定することができない。ただ、必要性というならば、国内においても、検閲を行い、猥褻文書の発表を事前に禁止する必要がないとはいえないが、その検閲が禁止されているのである、と判旨の意見が予想される。しかし、輸入すなわち外国からわが国内への貨物の流入という点に着目すれば、輸入禁制品の制度は、当面の風俗を害すべき書籍、図画等に関しても、右制度の実体及び手続の両面において、欠くことのできないものというべきで、国内との比較は相当でないと考える。けだし、その要点を挙げれば、(イ)外国にある書籍、図画等は、わが国の刑罰法規によつては、差押、没収の対象とすることができないから、輸入禁止の実体規定を欠くことはできず、(ロ)輸入の際に阻止しないで、輸入された後、関税法一〇九条による処罰を行うとしても(なお、この場合は、輸入禁制品であるのに、輸入の許可を与え、輸入を許可しておいて、処罰する、という二重の矛盾が伏在している。)、所期の効果を挙げることが困難なことは、改めて説明するまでもないことであり、したがつて、輸入禁制品検査の手続規定を欠くこともできないからである。

判旨思うに、憲法三条二項前段が検閲を禁止したゆえんは、旧憲法下において行われたような思想の表現に対する公権力による事前抑制の悪弊を一掃するため、旧憲法下において存在していた種々の検閲制度を否定し、その再現を防止しようとしたことにあると解される。すなわち、旧憲法下においては、主として治安警察の必要から、行政当局が、政治上又は道徳上好ましくないと考える出版物(書籍、定期刊行物等)につき、印刷物又はその原稿を事前に提出させてその内容を審査し、不適当と認めるものについては、その発行又は発売頒布を禁止するという検閲制度が存在し、これがため、国民の最も重要な基本的人権として尊重されるべき思想表現の自由が、大いに制約されていたことの反省の上に立つて、前述のような、好ましくない思想の表現を事前に抑制する意図をもつてする事前審査が、公権力によつてなされることのないよう、とくに検閲の禁止されるべきことを、憲法上明文化したのである。

右に述べた憲法二一条二項前段の制定の趣旨に照らして考えれば、憲法は、およそ形式上検閲と見られる制度をすべて絶対的に禁止したものではなく、本件の輸入禁制品の検査のように、わが国の風俗ないし社会の健全性を守るため欠くべからざる制度のごときは、憲法の禁止する検閲には含まれないと解すべきものである。

5 控訴人は、関税定率法二一条一項、三項ないし五項の規定は、表現の自由を保障する憲法二一条ことに同条二項前段に違反するなどと主張するが、前述した理由により、右各条項及びこれに基づいて税関長がした本件通知並びに本件決定及びその通知は、違憲ではなく、右主張は、採用することができない。

二次に、本件書籍が関税定率法二一条一項三号所定の風俗を害すべき書籍に該当すると認めるのに相当の理由があるとした本件通知及び右判断を維持し控訴人の異議申出を棄却した本件決定に、控訴人主張のような判断の誤りがあるか否かについて検討する。

前記法条にいう「風俗を害すべき」とは猥褻性を有するものを含むことは明らかであり、そして、猥褻とは、徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいうと解されるところ、検証の結果によれば、本件書籍は、縦28.1センチメートル、横21.6センチメートル、表紙(カバー付)及び前後各一枚の白紙を除くと計四八枚の内容からなる印刷写真集であり、撮影されているものは表紙カバー裏の本件書籍の撮影者アンドレ・ド・ディーンズの人物像を除くと、すべて女性の裸体写真で合計一三四枚の写真があり、うちカラー写真は三一枚で残りはすべてモノクローム写真となつていること、右一三四枚の写真のうち陰毛及び陰部が写つていないものはカラー写真で一八枚、モノクローム写真で一二枚に過ぎず、それは上半身又は後姿の写真であるためであること、前記裸体写真のうち、表紙、一頁左側、三頁右側、七頁右側、九、一〇頁の各右側及び左側、一二頁右側及び左側、一三頁左側、一五頁左側、一六、一七頁の各右側及び左側、一八頁右側、一九頁右側及び左側、二〇頁右側(右下の一枚)、二一頁右側及び左側、二二頁、二三頁左側、二五頁、二六頁右側、二八頁右側、三〇頁左側(うち一枚)、三一頁右側、三二頁右側及び左側、三五頁左側、三六頁右側、三七頁右側及び左側、四一頁右側、四二頁左側、四四頁右側及び左側、四五頁右側、四六頁右側及び左側、四七頁左側及び四九頁左側(うち二枚)に掲載されている写真には、いずれも露出した女性の陰部及び陰毛がかなり明瞭に写し出されていることが認められる。

もつとも、前記検証の結果によれば、本件書籍は、一冊の写真集として、モデルと思われる外国人女性の全裸の様々な姿態を種々の角度から撮影した写真を集めて印刷登載したものであり、女性の陰部のみを殊更強調するような写真は存在せず、撮影の意図は、若い女性の裸体の美しさを表現することにあつたとみられないでもなく、これらの写真を一体のものとして鑑賞する限りにおいては、猥褻感が強いとはいえないものと認められる。しかし、前記の露出した陰部及び陰毛が明瞭に写し出されている写真は、徒らに性欲を刺激させ、普通人の性的羞恥心を害するものということができ、それが著しく猥褻とはいえないまでも、わが国における現下の性風俗の実情からすれば、なお猥褻性を有するといわざるを得ない。

そして、一冊の書籍(写真集)の場合、登載されている写真の一部が猥褻性を有するときは、他の部分は何ら猥褻性を有しないとしても、それらが一冊のものとして編綴されているところから、全体として書籍(写真集)そのものが猥褻性を持つに至るというべきである。

してみれば、本件書籍が風俗を害すべき貨物に該当すると認めるのに相当の理由があるとした被控訴人の前記判断に誤りがあるということはできない。

よつて、本件通知及び本件処分に所論の違法があるとする控訴人の主張は、採用することができない。

第三結論

以上の次第で、控訴人の本訴請求は、これを失当として棄却すべきであり、これと同旨の原判決は、結局相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、差戻前及び差戻後の控訴審並びに上告審の訴訟費用は、民事訴訟法九六条、八九条を適用し、すべて控訴人の負担とし、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 中村修三 松岡登)

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